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四角いリングの中で、正樹は名も知らぬ覆面レスラーと戦っていた。レスラーは体格的には小さいが、その分スピードがありそうだった。正樹は一定間の距離を保ち、カウンターを狙う。正樹の狙いに気がついているのか、レスラーも動こうとはしない。すでに動かないまま一分がたとうとしていた。
ゆっくりとタックルの構えをとるレスラー。正樹は避けてからの一撃を考える。レスラーが正樹に向かい凄まじい速さでとんだ。予想外の速さに、正樹は避けることができない。
正樹は自分めがけて飛び掛るレスラーの顔面を殴った。しかし、レスラーは止まらず、正樹に体ごとぶつかる。激しい衝撃が正樹を襲う。マットに背中から叩きつけられた。立ち上がろうとする正樹の上にレスラーの姿があった。正樹が考える間もなく、レスラーは凄まじい速さで腕を取り、極めた。
腕ひしぎ逆十字。打撃による痛みとは違った、耐えられぬ痛みが正樹を襲う。正樹は絶叫した。
背中に感じる冷たさに、正樹は今まで自分のしてきたことが夢の中の出来事であることに気がついた。正樹の体はベッドから落ちており、腕に痛みがはしる不自然な体型であった。
「夢か……」
正樹にとって思わず声が出てしまうほどの緊迫した夢であった。こういった夢を見るのは大抵疲れたときであることを正樹は経験上知っていた。正樹はカレンダーを見る。十二月二十四日。クリマスイブに伴い、正樹の父が営む喫茶店ロムレットのクリスマス用の飾り付けに忙しかったのだ。この聖なる夜は、得意先である妹の乃絵美目当ての男性たちは全く来ない。そのかわり、アベックたちが愛を語り合う場所として使われる。
正樹は時計を見る。六時三十分。登校のための用意をするには時間が早すぎたが、寝直すには目が冴えきっていたため正樹は顔を洗いに洗面所へと行くことにする。扉を開け、廊下に出る。階段を下りて洗面所へ向おうとすると。厨房から明かりが漏れていた。正樹はそちらが気になり、ゆっくりと厨房へと向う。そこには、既に制服を着て食事の支度をしている乃絵美の姿があった。乃絵美は正樹に気づき、微笑を浮かべる。
「お兄ちゃん。おはよう。今日は、早いね」
いつも食事が出来上がり、乃絵美に呼ばれてからテーブルにつく正樹にとって食事を作っている乃絵美の姿は新鮮だった。
「ああ、なんだか目がさえちゃってな。おまえは今日も早いな」
乃絵美は白い歯を見せて笑った。
「今日はね、いつもより一時間早く起きちゃったんだよ。楽しみで」
「クリスマスイブがか?」
乃絵美は頷く。正樹は乃絵美ほど嬉しくはなかった。正樹にとってイブとは店が忙しい日であり、仲の良いカップルの語らいを聞きたくもないのに聞かなければならない日だったからだ。乃絵美のように楽しみな気持ちもあるが、それは、面倒だという気持ちに比べわずかなものだった。
「おはよう」
父親が正樹の隣に立っていた。いつものエプロン姿と違い、こざっぱりとしたスーツを着ていた。正樹が服装について質問する前に、乃絵美が不思議そうな顔で父親に質問した。
「お父さん、何でスーツ姿なの?」
父親は驚いたのか、目を少し見開いた。
「乃絵美、聞いてなかったのか?今日は昔の友人と久しぶりに会う約束があるから家を開けるといったじゃないか」
正樹は驚いた。父親が家を空けるということは、今日は休業するということだ。昼の時間帯ならともかく、夕方の時間帯に乃絵美と正樹だけで店を切り盛りしていくことは不可能に近い。乃絵美も驚いているようだった。父親は呆れ顔で言う。
「だから、開店の準備をする必要もないし、飾りつけも必要ないといったじゃないか。忘れてたのか」
乃絵美は小さくうめいた。思い出したようだった。しかし正樹は言われた覚えはない。乃絵美が伝えるはずだったのだろう。父は時計を気にしながら口早に言った。
「今日は帰ってくるのが十二時ごろになるからな。店に電話がかかってくるかもしれんが、今日は開けてないことを伝えておいてくれ。お得意様はこのこと知ってるから。じゃ、よろしく頼む。」
父は慌てて玄関を出た。正樹は唖然としながら乃絵美を見る。乃絵美は申し訳なさそうに正樹に謝った。
「ごめんなさい」
正樹は苦笑した。乃絵美に謝られることは久しくなかったので、どこか変な気持ちを正樹は感じた。
「飾りどうしよう。せっかくお兄ちゃんが飾り付けしてくれたのに無駄になったちゃったね」
乃絵美は泣きそうな顔で言う。正樹は昔からこの顔に弱かった。正樹は乃絵美のために考える。そして、一つのアイデアが浮かんだ。
「パーティするか。みんなよんで」
乃絵美は正樹を見つめる。正樹は乃絵美から目をそらし言った。
「飾り付け、無駄にできないしな」
乃絵美は微笑んだ
「うん。パーティーしよう」
その笑顔は正樹のもっとも大切なものの一つだった。
正樹は学校へ行く仕度をし、乃絵美の作った朝食をしっかり食べた後、少し時間が空いたのでテレビを見ていた。ニュースを見るとも無しに見ていると、店側の玄関、正面玄関のベルが鳴った。正樹の返事を待たず、扉が開いた。ロムレットの扉を開けたのは、正樹の幼馴染である氷川菜織と成瀬真奈美だった。彼女たちは制服に身を包み、いつもなら朝食を取っているはずの正樹が既に全ての準備を終えていることに驚いた。
「あれ、今日はいつもより早いのね。乃絵美ちゃん、こいつどうしたの?」
早起きをしただけで異常扱いされることに正樹は反駁する。菜織を睨みつけながら言った。
「俺が早起きしたら可笑しいってか?短距離やってたときはいつも五時ごろにおきてたぞ。」
菜織は正樹を見下すような笑みを浮かべる。
「県大会三位の実力者が今はグーたら高校生。どうしてこんなになっちゃったのかしら。私と真奈美が憧れていた格好良い正樹様は何処へいってしまったの?ねえ真奈美?」
真奈美は困った表情を浮かべ、答えに窮した。苦悩する真奈美に乃絵美は助け舟を出す。
「菜織さん、しょうがないですよ。部活終わっちゃたんだし」
「そうだよ菜織。誰だって部活が終わっちゃえばボーっとしちゃうよ。なんかパーティが終わった後みたいなかんじでさ」
「なによー、みんな正樹の味方ばっかりしてー」
真奈美の言葉に、正樹は先ほど乃絵美と計画したクリスマスパーティのことを思い出す。正樹は口ゲンカに発展しそうな三人の少女たちの会話に割って入った。
「おい、菜織、真奈美ちゃん。今日、クリスマスパーティを家でやるんだけど、二人とも来ない?」
パーティの言葉に真奈美と菜織の目が輝く。目を輝かしたまま、菜織は正樹に質問した。
「正樹ぃ。お店のほうはいいの?お父さんに確認取ったの」
乃絵美が嬉しそうに事情を説明する。
「今日、お父さんが友達に会う約束をしているから店を空けられないことになっているんです。既に飾り付けが終わった後だったので、もったいないから親しい人を呼んでパーティーすることになったんですよ。二人とも、来ますよね」
「うん!!」
真奈美と菜織は大きな声で返事をした。正樹は真奈美が大きな声を出すとは思わなかったので少し驚いた。しかも真奈美は菜織と一緒に飛び跳ねていたのだ。
「お兄ちゃん、菜織さんと真奈美さん誘ってよかったね」
「ああ」
乃絵美の言葉に正樹は頷くしかなかった。しかし四人だけのパーティーというのも寂しいので、正樹はほかに誰を誘うか考える。
「あと、二三人は誘いたいなあ」
「今日、内の店に親父が出れなくてさ、店を閉めることになちゃったんだよ。せっかくクリスマスの飾り付けをしたから友達誘ってパーティーでもやろうっていうことになってね、冴子と美亜子も来るか」
正樹の誘いに二人は頷いた。正樹は誘う相手として乃絵美とも菜織たちとも親しいこの二人が妥当だと考えた。美亜子はいつもより余計にはしゃぎ、冴子は平静を装っているが、弾む気持ちを完全に押しとどめられないのかそわそわしている。
正樹はパーティーがこんなにも彼女たちを喜ばせるものだとは知らなかった。正樹は皆が際限なく大騒ぎするパーティが苦手だった。何をしていいか分からなくなるからだった。その気持ちを正樹は誰にも告げたことが無い。場をしらけさせてしまうからだ。それに、楽しみにしている彼女たちの気持ちを無碍にすることはできなかった。
「なんか正装とか、用意とか必要か?」
冴子が正樹に聞く。美亜子がはしゃいで本来聞き出すであろう事項を質問しないので、冴子が代わりに正樹に問う。正樹は苦笑し答える。
「いや、いつもの服装でいいよ。プレゼントも、いいな。ただ飲み食いするようなパーティーだから。」
「飲み食いか。それは俺の得意分野だ」
冴子の言葉に正樹は吹き出した。その正樹を見て冴子もクスクスと笑い出す。美亜子だけが果てしなく青い空を見つめ、目を潤ませていた。
下校途中、正樹と乃絵美、菜織と真奈美の四人は通学道路を歩いていた。これから女性三人はスーパーへ買いだしに行く。パーティ用の食事を作るためであった。正樹はケーキを買ってくるように頼まれていた。今まで一本だった道路が、二つに分かれている。商店街とケーキが売っている店は別々の道だった。
「じゃあ、俺、ケーキ買ってくるから」
三人は頷く。菜織は指を正樹に突きつけて言った。
「ぜえったいショートケーキよ。中に杏とかはいってない、イチゴだけのショートケーキ」
菜織の命令に正樹は頷く。正樹もケーキにイチゴ以外の果物が入っていると食べる気がなくなる性質だった。
「わかってるよ。乃絵美、大きさはどれ位が良いかな?」
「あんまり、大きくなくていいよ。食べ物も多く作るつもりだから」
乃絵美と正樹の会話に菜織が割り込んでくる。
「私たちの料理、期待しときなさいよ。あんたのほっぺたを垂直落下させてやるんだから」
正樹は聞かない振りをして、いそいそと製菓店へと向った。
製菓店で、普通サイズのショートケーキを買い、自宅へと戻ろうとする正樹は一店の店に目が止まった。ガラスのショーウインドウからその店を一瞥して、正樹は店内へと入っていった。
正樹はケーキが入った袋の他に、もう一つ小さい袋を手に持ち、自宅まで後少しという所まで歩いてきていた。角を曲がりあと百メートルくらいの直線でロムレットへと着く。正樹はロムレットの前に人が佇んでいるのが見えた。肉眼では確認しにくいが、どうやら女性らしい。お客かな、と正樹は考える。店が閉まっているのも知らずに、開店を待とうとする客は少なくなかったからだ。正樹は少し小走りで女性の元へと向う。女性は足音に気がついたのか、正樹のほうへと振り返った。女性は正樹の英語の臨時教師の天都みちるだった。
「先生!!どうしたんですか?こんなところに」
みちるは正樹を見るとホッとしたのか、安堵の篭ったため息を吐く。そして、抱きつかんばかりに正樹の腕を取り、泣き声で言った。
「伊藤君〜!!どうしてロムレットが閉まってるの。ねえ、私へのあてつけ!凍え死ねってこと?ねえ、伊藤君!!答えてよ!!」
正樹はみちるが何を言っているのかよくわからない。この光景を誰かに見られたらと考え、正樹は全身の毛が逆立つようだった。どうみても、恋愛関係のいざこざによる修羅場にしか見えなかった。「美人教師教え子とステディな関係」「美人教師教え子に捨てられる」「衝撃手記!私は生徒に捨てられました」恐ろしい想像が正樹を包み込む。
「先生、ともかく中に入ってください」
正樹はロムレットの玄関の鍵を開ける。みちるは嬌声をあげた。
「やっと、やっと、やっと、暖房のあるところへ。伊藤君大好き!!」
正樹は心の中で叫んだ。僕はこの美人教師関係になったことはありませんと。
ロムレットの玄関手前のテーブルに座っているみちるは暖房が機能するまでの間中寒さに凍え、温まるためなら正樹を押し倒しかねないほどだった。正樹は自室から毛布を持ってきて、みちるに手渡す。みちるは嬉しそうに包まった。みちるは安らいだ声で喋りだす。
「あのね、暖房が故障していたの。アパート借りるときから着いていた備え付けの暖房器具だったんだけど。それだけならまだいいの。でもね、停電しちゃったんの。アパート全体が。それで、ロムレットへ言って温まろうと考えて、寒い、寒い外を歩いてここまできたの。そして、凍死寸前のところでロムレットについたわ。そしたら、今日は店を閉めますって表札が扉に!扉に!!」
美しい顔を歪めみちるは歯軋りする。正樹はただ笑うしかなかった。みちるは怒りの篭った目で正樹を見つめる。正樹がたじろぐと、その狂暴な目つきのまま言った。
「なんで、閉まってたの?私へのあてつけじゃないわよね」
正樹は恐怖で震える体を堪え、ゆっくりと簡潔に最大級の注意を払って説明した。みちるは次第に表情を緩め、今は秀麗な美人教師へと戻っている。
「そうだったの」
みちるはそう言い終えると、今度は困った表情を浮かべる。
「パーティーやるんだったら、私って邪魔じゃないかしら?」
正樹は首を横に振る。教師がいればパーティーが度を越すほど大騒ぎにならないと考えたのだ。正樹にパーティへの参加を許されたみちるは、感極まって正樹に抱きついた。
「よかったあ。もう寒い思いをするのは嫌だったの!!」
急に飛びつかれたせいで、正樹は体制を崩しみちるに押し倒される形となった。そして、二人が動くまもなく、ロムレットの玄関が開いた。
「こんばんわ」
扉を開けたのは冴子だった。冴子は倒れている二人を見て、顔を赤面させた。
「お二人がそんな御関係だとは存じませんでした。しかし、そのようなみだらな御姿を私めに献上されても致し方ないような気がします」
正樹は恐怖が現実となり、否定できない局面まで進んだと知り、絶叫した。
「違うんだ!!!」
冴子はいまだに驚愕から抜け出せないのか。敬語が続く。
「違うと申しましても、その、私めには、あの、天都様と伊藤様が激しいご関係にあるとしか考えられないのですが」
みちるは今の状況をようやく理解したのか、教師の威厳を出して冴子に言った。
「田中さん。今さっき私と伊藤君が行った行為はアメリカでよく行われるスキンシップよ。スキンシップ。私、まだアメリカのときの習慣が抜けきれてないの。今の行為で伊藤君と田中さんを驚かせてしまったようね。悪気はなかったのよ。ごめんなさい」
冴子はみちるの言葉を信じた。満ちるの言葉に威厳がともっていたからだ。みちるは爽やかな笑顔を浮かべ、冴子に言う。
「さあ、さあ、寒空の中今まで歩いてきて寒かったでしょう。暖かい飲み物でもどう?伊藤君。コーヒー作ってね」
「あれ、みちる先生、来てたんですか?」
買出しから帰ってきた菜織たち三人はみちるがいることに驚いた。みちるは三人に微笑み、正樹の入れたコーヒーのカップを軽く持ち上げる。洒落た挨拶だった。
「家のほうが長期間の停電になるって大家に言われてね、それでロムレットに来たのよ」
乃絵美と真奈美は満ちるに軽いお辞儀をしてキッチンに向った。正樹は冷蔵庫からケーキを取り出す。
「菜織、ケーキってこのぐらいの大きさでよかったのか?」
菜織は正樹の手にあるケーキを一瞥して頷く。菜織は正樹の手からケーキを奪い、大型のテーブルの上に載せた。テーブルの上はケーキしか乗っておらず、質素に見えた。
「正樹。二階のあんたの部屋の押入れの中にテーブルに載せられるくらいの小さいクリスマスツリーがあったでしょ。あれ持ってきなさいよ」
「え、なんで。大きいツリーがあるじゃん」
正樹は店内の一角を指差す。そこには人と同じくらいの大きさのツリーが飾り付けされておいてあった。昨日のうちに出しておいたものだった。菜織は首を横に振る。
「だめよ。テーブルが貧相に見えちゃうんだから。いいから持ってきなさいよ」
椅子から腰を挙げる正樹に菜織は言った。
「ちゃんとほこりを払って綺麗にして持ってくるのよ」
「わかったよ」
正樹がだるそうに階段を登っていると、後から冴子とみちるの声が響いてきた
「がんばってねー」
「がんばりますよ。がんばればいーんでしょ!」
正樹は小声で毒ついた。
正樹はベランダで小型ツリーの掃除をしていた。ほこりを払った後、濡れ雑巾で表面を丁寧に拭う。濡れ雑巾を使っているために正樹の手はどんどんと冷たくなり。正樹は自分の手が凍ってしまうような錯覚を覚えた。一通り綺麗にしたところで腰を挙げると。遠くから聞き覚えのある声が響いた。正樹が声のほうを振り向くと、サンタクロースの格好をしたツインテールの美少女がすっ樹プを刺ながら歩いてくる。
「伊藤くーーーーん」
正樹は見てない振り聞こえない振りをしながら室内へと逃げた。あの格好の美亜子と友達だとは思われたくなかった。窓を閉めた室内に美亜子のか細い、しかし窓を隔ててなければ怒号とも言って良い声が聞こえた。
「ねーーーーーーーえーーーーーーー。伊藤くーーーーーーん」
「聞こえない。聞こえない」
正樹が階段を下りて、店内へと入ったとき、既に美亜子は到着していた。正樹を見つけると頬を膨らませ、憤慨した。
「伊藤君!ひどいよお」
正樹は店内を一通り一瞥した後、今、美亜子に気がついたように返事をする。
「おう、美亜子も来たか。ってことは全員そろったな。料理も完成したし。それじゃあ始めるか」
正樹以外の全員が大型のテーブルの椅子に座っている。正樹は空いている席、乃絵美と冴子の間に座った。みちるが手を挙げる。
「私が司会やる」
皆がいっせいに首をかしげる。みちるは自身満々に両手を腰に当て宣言した。
「パーティには行事を正確に進行させる司会役が必須なのよ。この中で私以外に司会ができる妥当な人物はいないし、決定ね」
美亜子だけが不満顔であとの全員は特に反対する理由も無いので無言で同意した。皆の同意を得ると同時に、みちるは大きい動作で正樹を指差し言った。
「まず、主催者の言葉。簡潔、明瞭にね。」
正樹はたじろぐ。そんなことをするとは夢にも思っていなかったのだ。しかし、みちるは無言で圧力をかけてくる。正樹は従うしかなかった。席から立ち上がり言った。
「えっと、今回、このロムレットで、僕たちだけでパーティを開くことになったのですが、まあ、そのなんていうか、とにかく、楽しみましょう」
「何言ってるのかわからない伊藤君に大きな拍手ーー」
小さく断続的な拍手が響く。盛り上がりに欠けたせいか、みちるは皆を睨みつけた。しかし、気を取り直すように司会を続ける。
「続いて、準主催者兼料理担当の伊藤乃絵美ちゃーん」
乃絵美はゆっくりと立ち上がり、皆に笑顔を向けていった。
「皆さん、高級料理店の料理ほど見栄えも味も良くないでしょうが、精一杯作ったので、たくさん召し上がってくださいね」
乃絵美の言葉に皆は大きな拍手を鳴らす。みちるは上機嫌になった。皆が一斉に安堵のため息を吐く。
「それでは皆さーん。無礼講でーす。精一杯楽しみましょう」
大きい歓喜の声が響いた。皆が声の主を探す。冴子だった。皆の視線を浴びていることに気づき赤面する。
「だって、お腹空いてたんだもん」
冴子らしからぬ口調に皆は大声で笑った。
「ちゅうもく!!」
一通りの食事が終わったところで、みちるが皆の注目を集めた。皆が呆れ顔でみちるを見る。
「さあて、美味しい食事を味わった後、クリスマス恒例の行事といったら……信楽さん!なに?」
美亜子は自分に質問されると思ってなかったのか、フライドチキンをくちにくわえたまま目を丸くする。みちるは美亜子をへの質問を無かったこととし、一人で喋りだした。
「そう、ピアノ演奏よ。ピアノ演奏。伊藤乃絵美さんによるピアノ演奏会よ」
乃絵美に拒否権は無かった。
店内の右奥にあるピアノの周りの席へ、皆が集まった。緊張した面持ちで、乃絵美は鍵盤に手を置く。静かにピアノの旋律が鳴り出した。皆は静まり、乃絵美の演奏に聞き惚れる。みちるが皆が所々に座っている席のテーブルにグラスを置く。そして、順々に透明色の液体を注いだ。乃絵美の演奏が終わり、微笑みながら席を離れる。みちるは乃絵美にも液体の入ったグラスを差し出した。
「皆さーん。乃絵美さんの演奏に大きな拍手をお願いします」
皆が乃絵美の演奏に感心していたのか、今までの中で一番大きな拍手だった。みちるは嬉しそうにグラスを挙げる。
「乃絵美さんの演奏に乾杯!」
みちるはそう言うと、グラスの液体を飲み干す。それにならい、皆も一斉にグラスに口を付けた。正樹は飲みなれない味に、液体がアルコール飲料であることに気づいた。皆は美味しそうに飲んでいるので気がついてないのだろう。正樹はみちるに近づき小声で言った。
「これって、お酒ですよね」
みちるも小さい声で答える。
「クリスマスって言えば、やっぱりシャンパンでしょ」
しかし、グラスの中の液体には気泡が発生していなかった。正樹は満ちるの近くに置いてある酒瓶を見て、顔を青ざめた。ラベルの左端に小さい文字で「三十五度」とかかれていた。
「きついお酒じゃないですか!!」
みちるはグラスに酒を注ぎ、一気に空ける。正樹に笑いかけた。
「無礼講よ。ぶ・れ・い・こ・う。ねえ、信楽さん」
正樹が美亜子へ視線を向けた。顔を真っ赤にして、ろれつの回らない口調で言った。完全に酔っ払っていた。
「しょうでしゅよ。ましゃききゅん。きょうひゃびゅりぇうぃきょうなんでしゅよ。ひひ。続いて信楽美亜子、ストリップしまーす」
盛大な拍手がロムレットを包む。正樹が驚いて皆を見ると、全員の顔が朱に染まっている。乃絵美と真奈美までもが美亜子のストリップショウに喝采をしていた。
美亜子がたどたどしい動きでサンタ服の上着を脱ごうとする。正樹はあらわになる肩口に見惚れそうになった。しかし、理性が打ち勝ち、急いで止めにはいる。皆がいっせいに不満の声をあげた。菜織が立ち上がり、正樹を睨むつけ叫ぶ。
「何で止めんのよ。美亜子ちゃんの見せ場よ」
「あたりまえだろ、酔っ払いすぎだよ」
正樹は叫んだ。菜織は正樹の大声に怯え、すすり泣きを始める。正樹は慌てて菜織を宥めるが効果が無い。乃絵美が直りの肩を抱き、正樹を睨みつけた。
「お兄ちゃん。怒鳴ることないでしょ」
正樹は反論しようとするが、乃絵美の目がそれを許さなかった。菜織の肩をさすり、乃絵美が優しい声で言った。
「菜織さん。泣かないで。私が脱ぐから」
「ホント!?」
菜織は顔を上げ、喜びの声をあげた。乃絵美は頷き、エプロンを外す。正樹は大声で静止した。
「やめろ!!」
乃絵美は手を止め、正樹を見つめる。大粒の涙が溢れ出した。冴子が乃絵美の肩を抱き、正樹を睨みつける。
「正樹、怒鳴りつけることないだろう。乃絵美ちゃん。俺が脱ぐから泣き止んで」
正樹は泣きたくなった。
静寂の中、柱時計が十二時の鐘を告げる。店内は静まり返っている。おきているのは正樹一人だった。皆が、半裸状態のまま床に寝転んでいる。正樹はその一つ一つに毛布をかけた。
正樹は酒池肉林の続く女性たちの中、一人ひとりの家に電話をかけ、帰りが遅くなることを告げ、脱ごうとする皆を止めに入りつづけていた。皆が疲れて寝静まった後、正樹はようやく一息つくことができた。
「ふう」
と、正樹は声が出るくらいのため息をついた。正樹は疲れ果てていた。抑止のために誘ったみちるが一番のトラブルメーカーとなったせいで、正樹が一番損な役割を担う羽目になったのだ。正樹は女性たちの寝顔を遠めに見る。その安らかな寝顔を見ると、正樹は起こる気がなくなってしまった。正樹はケーキを買いに行ったときについでに買ったものを思い出す。二階へあがり、自室から小さい紙袋を持ち出し下へと降りる。寝静まる女性達一人ひとりの眼前に手のひら大の紙袋を置いた。みちるの前には自分用に買った紙袋を置く。正樹は静かに言った。
「メリークリスマス」
「めぇりぃきゅりぃしゅまあしゅう!!」
ロムレットの扉が開き、そこからろれつの回らない祝福の声が響いた。その声の主はネクタイを額に巻きつけ、すし詰めを持った父親だった。あたりを見回し、床に寝転がっている半裸の女性たちに気づき、歓喜の声をあげた。
「おお、おお、乱れ乱れた女性が六人。まさに楽園。快楽の都。サンタ様からのプレゼントに違いない。この最近女性とお付き合いのない私にあなた様はこんなプレゼントをお、ありがたや、ありがたあや。正樹。お父さんはショートカットの女性を貰う。おまえも誰かを頂きなさい」
よっている父に苦笑しながら、正樹は肩を貸すために近づく。冴子の方に倒れこむようにして進む父を正樹は捕まえた。
「父さん、酔いすぎだよ」
正樹に寄りかかったまま、父は寝てしまう。正樹は父親を椅子に座らせ毛布をかけた。
疲れたせいか、正樹に眠気が襲う。今日一日疲労しきった体は睡眠を欲しがっていた。正樹は睡魔に身を任す。疲労した割に、心は穏やかだった。いつも疲れたときに見る夢、プロレスラーの悪夢は見る事はないだろう。正樹は毛布を被り、ゆっくりと目を閉じた。
朝、まだ薄暗い店内の中。正樹は飛び起きた。汗が体中から噴出し、下半身の一部が硬化している。正樹が見た夢は淫夢だった。正樹は女性達の枕もとを睨む。
「ったく。来年はもっとましなプレゼントくれよな」
正樹は紙袋の中のサンタクロースのストラップ毒ついた。正樹はサンタクロースの意地悪な笑い声を聞いた気がした。
おしまい
もどりませう